chapter4- 政治家とは何たるか。国会議員秘書として見た地方自治の重要性と世界の広さ

大学4年の卒業間近の3月末、自民党本部主催の大学生を対象としたインターンシップに参加した。
全国各地から様々な想いを持った同年代の学生たちと共に、2週間寝食を共にしながら、自民党本部内での様々な勉強会や議員事務所にて、国会議員秘書のお手伝いをするプログラムだ。

そこで、偶然とある派閥の会合に出席し、自己紹介を話した後、声をかけていただいた国会議員の方がいた。
私のような若造に対しても、「防災やってるんだね、僕も防災士持ってるよ」と熱く語りかけていただいた。
それが後に秘書として働かせていただく参議院議員の先生だ。
自民党本部でのインターン後も、何回か地元での挨拶回り等に随行させていただいた。

そんなある日、「永田町の議員秘書として働いてみないか」とお誘いをいただいた。ありがたい話だった。
やってみたいと想いは募る一方で、まだリクルートに入って約5カ月。リクルートでは、まだ色々な方から仕事を教えていただいているレベルだったので、ここで辞めるわけにはいけないのでは。と、思った。
しかし、様々な方に相談し、迷いに迷って、結果、秘書になることを決めた。
「秘書になって政治の世界を知って、ダメだったらまた違う仕事をすれば良い。けど、秘書として永田町で働けるチャンスは今しか無いかもしれない。」そう言ってくれた、とある大先輩の言葉が刺さった。
当時、人手不足の中で迷惑をかけながらも、挑戦を応援してくれて、送り出していただいた当時のリクルートの先輩たちには感謝してもしきれない。


そして、社会人1年目(2017年)の10月より秘書として、初めて東京に住んだ。
秘書となってからは、何もかもが初めての世界で、先生はもちろん、事務所の先輩秘書や同じ党の秘書の皆さんに本当に助けていただいた。
自民党本部での会合に提出する資料作り、国会での法案審議の質問文書の草案作成、議員連盟の会合の日程調整、国政報告会の段取り、支援者の方々との食事会のセッティングなど、1年目から多岐にわたる仕事をさせていただいた。

お仕えしていた先生が「私(国会議員)ではなく、私の先、つまり支援者や関係者、県民、日本国民を見て仕事を、力を、尽くしてほしい。」とよく仰っていたが、国民の税金で仕事をする政治関係者にとって、この考えはいつまでも大事だと肝に銘じている。
朝7時前には議員会館にいて、終電で帰る。議員会館でしばしば徹夜をすることもあった。決まった(固定の)休みも無い。プライベートの予定を入れるのは難しい。そのような日常が当たり前の生活で、体力的にはきつくとも、自分の仕事が議員を支え、ひいてはその先の有権者や国民のためになるという仕事はとてもやりがいがあった。

東京の議員会館の私設秘書を務め、1年後には公設秘書にならせていただいた。その後、2019年の参議院議員選挙以降は、地元・徳島県の担当秘書をさせていただいた。徳島県の自民党関係者の方々をはじめ、県下24市町村の首長・県議・市町村議員・民間企業、本当に数多くの方々とお会いする機会をいただいた。当時24歳の若造が、国会議員の秘書として、県下を回らせていただき、様々な課題や想い、地元で頑張る方々と企業を知ることが出来た。秘書を辞めた今でも、連絡を頂いていることは、私にとっての財産だ。

そんな中、国会議員秘書として強く痛感したことは、
・政治家は職業ではない。政治は手段であること=手段のために政治がある。ゴールではない。
・政治家にも種類がある。役職の高低ではなく、国会議員・県議会議員・市町村議員、それぞれにしかできない大事な役割がある。
・政治は権力でもある。ただ、その権力は誰かを引きずり下ろすのではなく、誰かを引き上げるための力であり、誰かを助けられる力。

今まで漠然と「政治家」を目指していたが、秘書をさせていただく中で、自分が必ず成し遂げたい分野に応じて、どの立場を目指すのか。目的に応じて、手段となる政治の立場を選ぶ。それが大変重要だと気づいた。

その上で、自分がいつか(政治家に)挑戦したいという想いはありながらも、将来を決めかねている時、当時の先生から「海外での経験を増やした方が良い。政治を目指すにしても、そうではなく、ビジネスで成功するにしても、30代になる前までに一度、海外で住み、海外から見た日本を見るべきだ。」と、ご助言をいただいた。
振り返ってみれば、2018年には国連機関のとある視察で、ミャンマー&バングラデシュへ秘書として随行させていただいたり、私の経験を少しでも増やそうと、企業の社長や議員の方々との食事会に度々、陪席させていただいたことも数多くある。自分の立ち位置や振る舞い方、マナーなど、様々な経験を積む大変ありがたい機会をいただいた。

台湾への渡航も「台湾有事を踏まえた今の東アジアの国際情勢を学ぶこと、人脈を作ることが鈴田にとって大きな財産になる。」そう仰っていただき、自分で様々調べる中で、渡航を最終決断した。

政治を目指すにしても、ビジネスを目指すにしても、日本を変えるには世界から見た日本の現状を知らなければ出来ない。そう思い、2022年の秋に、翌年渡航しようと決めた。

chapter5- 大きな過ちを犯し数えきれない多くの方々に迷惑をかけた日

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